昨年の統計によれば、教育機関(小中高など)で熱中症になった人たちは4000件を超え、全体の7.6%ほどである。もちろん教室にクーラーをいれれば熱中症が防げるという単純な話ではない。運動系の部活動、校外や校庭での実習や休憩時間などの活動などでの熱中症対策もきわめて重要だ。だが、この猛暑が定着している日本で、大勢の人間が詰まった空間でクーラーなしで学習などをすることは不健康である可能性は大きいだろう。

このエアコン設置率がまだ半分程度でしかない主因は、財務省が文科省に予算を認めないことが最大の理由である。また政府(財務省)が地方自治体に協力してエアコン設置のための補助金を積極的に負担するなど教育にお金を使う発想がないからであろう。

さらにこの財務省の緊縮主義をサポートしているのが、中高年に蔓延する精神主義である。いわば暑さなど心の持ちようでどうとでもなる、とでもいう発想である。数年前に所沢市の市長はそのような精神主義的な背景で学校へのクーラー設置を事実上見送った。今年に入ってこの方針を転換したようではあるが、現状ではどうなっているのだろうか?

いずれにせよ、財務省的な緊縮主義には、清算主義的な思想が伴うことが多い。清算主義的な思想とは、簡単にいうと今日我慢すれば明日はもっと良くなるという思想である。例えば病気をしていてもそれを我慢して自分ひとりで耐え抜けば、以前の健康だったときよりもさらに健康になるという歪んだ精神主義である。もちろん病気であれば適切な診断と治療をうけたほうがいいにきまっているのだが、それを拒否したほうが“望ましい”とする思想である。この歪んだ思想はさすがに表に出し過ぎると批判も多いので、財務省的な「将来世代のために緊縮するのです」という理屈で繕うのが定番だ。だが、財務省の緊縮主義のために、いまの若い人たちの健康が損なわれてしまえば、「将来世代」をまさに見殺しにすることではないだろうか?

返済不用の奨学金の大幅拡充、小中学校の給食費や学用品の全額補助、学童保育の充実、教員の待遇改善、もちろんエアコン設置などなど、「将来世代のため」を本当に考えるならば、緊縮主義ではなく、積極財政しか解はない。

日本の寄生虫である財務省の側につくかどうか、そこに我々の将来への態度がかかっているともいえるだろう。

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