ヘイエルダールは「なぜポリネシアの島に人が住んでいるのか」に興味をもち、調査を行った結果、ペルーとポリネシアにおこった文明の類似点などから、海を超えて南米からポリネシアに人が移動したと考えるようになります。

しかし、ヘイエルダールの説は、「当時の技術で船で南米とポリネシアを行き来することはできない」などとして学会の反対に遭います。

そこで、自説の有効性を証明するために、バルサやマングローブ、麻など、古代でも容易に入手できた材料を使った原始的ないかだで航海に挑んだのです。

1949年、ポリネシア語で「太陽の息子」を意味するコンチキ号は、ヘイエルダール自身を含む6名の乗組員を乗せ、101日間かけてペルーからイースター島までの8000キロを旅しました。

その成功を受けてヘイエルダールとコンチキ号はたちまち有名に。1948年に発表された「コン・ティキ号探検記」は62ヵ国後に翻訳され、2000万部以上を売り上げる空前のベストセラーとなりました。

さらに、コンチキ号の航海の模様を伝える映画「Kon-Tiki」は、1951年の1951年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。この映画は、博物館内のシアターで上演されています。

コンチキ号博物館に展示されているもう一隻の船が、「ラー2世号」。

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