当時の首都は内陸に位置するイムディーナにありましたが、騎士団は、オスマン帝国との戦いに備えるべく、海沿いのヴィットリーオーザを本拠地に決めます。

騎士団は、天然の要塞ともいえる地形を利用し、聖アンジェロ砦を整備して、高い防衛力をもつ堅固な城塞都市を造りあげました。

騎士団がマルタに拠点を移してからも、ロドス島を攻略したオスマン帝国軍は、聖ヨハネ騎士団を再び追い詰めることを忘れてはいませんでした。

1565年、オスマン帝国の艦隊、約4万人がマルタ島を包囲します。このとき、騎士団側はわずか700人、マルタ人の正規軍が8000人ばかり。数では圧倒的に劣勢だったものの、騎士団は猛攻に耐え、マルタの人々とシチリアからの援軍を得て、ついに3ヵ月に及んだ熾烈な戦いに勝利します。

この大包囲戦が終わった9月8日は、今でもマルタで祝日として祝われています。

その後、当時の騎士団長でフランス人のジャン・パリソ・ドゥ・ラ・ヴァレットは岬に要塞都市を築き、その街は団長の名前にちなんで「ヴァレッタ」と名付けられました。

壮麗なる聖ヨハネ大聖堂や騎士団長の宮殿、マノエル劇場など、現在のヴァレッタを象徴する建造物が建てられ、マルタにおける聖ヨハネ騎士団は黄金時代を迎えます。

ところが、平和が戻り目的を失った騎士団員の生活は堕落し、しだいに戦うことすら忘れていきます。

1798年、総勢5万8000の兵を率いたナポレオンの艦隊が、水と食料の調達を口実にマルタに寄港。騎士団は戦うことすらせず降伏してしまったのです。

次ページ