彼はこの時にこの場所で、多くの非ムスリムの海軍をムスリムに改宗させたり、イスラムの説教によって多くの人に影響を与えるという活動を行ったため、のちに再びスルタンの信用を取り戻すことができました。このようにして再び帝国の行政にイスラムの見地から関わり、スレイマン大帝の時代のオスマン帝国の成長を手助けし、スルタンのよき相談相手にもなりました。また、当時の大宰相であったリュステム・パシャやソコルル・メフメト・パシャが打ち出す方針についても干渉し、オスマン政権を影ながら支えていた存在として信頼を得ていた人物だったのです。

1571年に亡くなると、スレイマン大帝の後継ぎとなったセリム2世の命により、ボスポラス海峡を見渡すこのベシクタシュの丘の上に霊廟がつくられました。

ボスポラスの青によく馴染む淡い緑の霊廟内には、ヤフヤー・エフェンディの大きな棺、それを取り囲むように彼の親族やアブデュルハミト2世の娘ハティジェ・スルタンやその息子といった、オスマン家の血を引く皇族の棺も並んでおり、クルアーンを読みながら棺の前で彼らの魂の平安を祈る人たちが見受けられます。

亡くなってから400年以上も経ちますが、ヤフヤー・エフェンディはいまでも多くの人の祈りを聞きながら、丘の上からボスポラス海峡を見渡してこの街の平和を案じていることでしょう。

イスタンブールでボスポラス海峡沿いを散策する際には、オスマン帝国最盛期にイスラムの見地から政権を支え続けたヤフヤー・エフェンディの霊廟にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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名前 ヤフヤー・エフェンディの霊廟(Yahya Efendi Türbesi)
所在地 Yahya Efendi Sokak 1 34349 Beşiktaş İstanbul

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