■死も覚悟したバンド休止期間のテキ屋時代

──ボクの周辺では「増子さんの話術はすげえ!」「最高!」って反応だけだったのに!

増子 あんなもん、ぜんぜん触りよ。武勇伝とかと違うからね、単純におもしろい話だから。そのへんの元ヤンキーとかが歳とってきて、「俺も若い頃は」みたいな、そういう武勇伝みたいなのと一緒にしてほしくないんだよね。似て非なるものどころか、まったく非なるものだよ。

──あれは「俺すごいだろ」話でもなんでもないですもんね。

増子 そう、あんなのなんてことないよ。

──怖い人の面白エピソードってだけで。

増子 怖い人っていうか、怖すぎておもしろくなっちゃうぐらい怖い人とかいるからね。

──それは北海道時代に?

増子 こっちにもいたよ。いろんな流れから、とあるところで見込まれてしまってえらいことになったっていうね。

──それは自伝でサラッと書いていた、テキ屋業の話ですか?

増子 そうそうそう、池袋でね。あれたいへんだったんだよ。俺が辞めさせてもらった次の週に、俺がいつも給料を取りに行ってた事務所に10発ぐらい撃ち込まれてたもんね。

──えぇっ!! 銃弾が?

増子 ハハハハハハ! 危なかったよ(笑)。

──それぐらいの緊迫した状況下で働いてたんですね……。

増子 そうそうそう、働いてたね。毎朝、家を出るときは死ぬんじゃねえかなって。侍じゃないけど、家を出るときは死を覚悟しとくっていうのがあるじゃん、『五輪書』かなんかで。あれと同じで、今日はもう帰ってこられねえかもな、みたいな。

──怒髪天を休んでる期間(96~99年)にそんな経験したら、そりゃあ人生観も変わりますよね。

増子 そうだね。バンド界隈の誰が強いとかってホントに子供の遊びだもんね。なかには何人か本物いるけど。

──一部、強い人もいるけれども。

増子 でも、ぜんぜん違うね。外の世界では日本ランカーに会った感じだから。東洋チャンピオンぐらいには会ってるね。

──前に元COLORのダイナマイト・トミーさんをインタビューしたとき、「ヴィジュアル系で誰が強いかって話はナンセンスで、それは草食動物のなかで何が強いかって言ってるようなもんだ」って言ってたんですけど、それに近いような発想ですよね。

増子 そうでしょ? でも、あそこらへんのなかでトミーさんがぶっちぎりだよね(笑)。

──そんなトミーさんが、いまアイドルの運営をやってチェキとか撮ってるわけですからね。

増子 そこらへんが一番本物っぽいよね。ちゃんと食い扶持になるものは分け隔てない、みたいな。そこらへんは素晴らしいと思うよ。

──何も知らないヲタに文句を言われてもちゃんとチェキを撮るっていう(笑)。

増子 そうそうそう。仕事とそれは別よっていう、そのスタンスは見習うべきところがあるよね。プライドを持ってる場所が違うっていうか。

──本当に怖い人は意外とそうですよね。

増子 うん。自分の矜恃っていうか、譲っちゃいけないところ。ここを割ったら死ぬかなっていうところを意識するかしないかによって生き方って変わるというか……それを意識すると楽になるよね。

──だいたいのことがOKになる。

増子 だいたいOKになるね。

──もう1回死んだぐらいの感覚でぜんぜん大丈夫っていう。

増子 そうだね、ぜんぜん大丈夫。だいたい1999年に1回死んで、そこからは余生だからね。

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