■少年時代のヤンチャすぎるイタズラ

──ハードコアパンクとかが怖いものっていう前提がなくなっちゃってる世代ってあるじゃないですか。無邪気に本当に怖い人たちをネット上でイジッたりとか。

増子 考えられないよね。

──「シャレにならないことになるから気をつけなきゃ」ってことがわからない人たちが多くて。

増子 いわゆるアウトローっつうか、治外法権じゃないけど、法の外にいる人たちっているからね。それをわかってないというか。こないだDMBQ(実弟・増子真二のバンド)が久々にクアトロでやったときSTRUGGLE FOR PRIDEが出てて、今里(STRUGGLE FOR PRIDEのボーカル)に何年かぶりに会ったんだけど、今里が「増子さん、俺しばらく刑務所に入ってたとき、ラジオの時間にいっつも増子さんのラジオ聴いて励まされました。シャバに出てまた頑張ろうって思いました」って言われたんだけど、それに対してのコメントがないよね(笑)。

──刑務所に入ってる人って、AMラジオをけっこう聴いてくれるんですよね。

増子 そうそうそう。ほかの友達も言ってたよね、「刑務所でいつも流れてて、『これ俺の友達だ』って言ってすげえ鼻高かったよ」なんつってさ、「鼻高かったよ」じゃねえっつうの!

──今里さんも人当たりは柔らかいけど、怒らせたらいけない人だなっていうオーラが出てますよね。 

増子 そう、ただごとじゃない。不思議だよね。そういうところに当たらないで暮らしてこられるんだなって逆にビックリだね。

──増子さんはそこに積極的に当たりにいったタイプなんですか?

増子 積極的にいったわけじゃないよ。もともと育った地区っていうか、札幌のあのへんがホントにろくでもなかったからね。

──時代的に不良ブームでもあったし。

増子 そうだね。時代的プラス地域的なものがあったから。いまは住宅地としてすごい整備されてるけど、昔は人が住むところじゃないって言われてたところで。「線路を越えたら人が住むところじゃない」っていうぐらい土地が安かったの、雨が降ったら川が氾濫して。そこに家を建ててみんな住んでて、クラスの名簿なんて半分は片親だから。で、職業欄が書いてないっていうね。家に行ったらそれこそテキ屋の、若い衆が刺青をガッツリ入れたままゴロゴロしてるところを「おじゃましまーす」って、またいでそいつの部屋に行って遊んでるっていう状況だったから。

──それは暴力と隣り合わせの世界ですね……。

増子 そう、隣り合わせだった。でも、みんな優しいから、こっちも子供だし。むしろ金回りよくて奢ってくれたり。だから友達の苗字とか途中でバンバン替わるしさ。だけど、そういうほうがざっくばらんというか、隠しごともなく楽しく暮らしてたよね。高校に行って学区が変わるじゃん。あれで初めて自分の育った地区がひどいって知ったから。「あそこから来たの?」って言われて、そうだったのかと思って。たしかに考えたら遊びがふつうじゃなかったもんな。

──そりゃ虫ぐらい食べたりしますよね(増子さんは少年時代、虫を食べる根性だめしでクマンバチに泥をトッピングして食べて仲間に圧勝した過去あり)。

増子 そうそうそう。あと川にカップルが車を停めてて、車が揺れたりしてて。それを見つけたらみんなで車の上を走ってくの、ダダダーッて。「コラー!」って出てくるんだよね。「いまのあいつの姉ちゃんじゃね?」なんつって、多々あったね。

──それが小学校中学校ぐらいですか?

増子 そうだね。スナックとかもいっぱいあって、ワーッと盛り上がってるところに自転車で行って、スナックの外のブレーカー全部バチンバチンって端から落としていって、みんな大騒ぎしてるところをゲラゲラ笑いながら友達ん家に行って、帰りにまた落としてく。そういう毎日だったもんな。

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