「バロック都市」として名高いドイツ中央部の町、フルダ。

中世初期以来1200年以上の歴史を誇るベネディクト大修道院を中心に発展してきた宗教都市で、400名以上の修道士がいた中世の時代には、宗教・学問の中心地として大きな影響力を持っていました。

かのゲーテゆかりの地としても知られ、ゲーテはワイマールからフランクフルトへの旅の途中、しばしばフルダに滞在していたといいます。

フルダの歴史は、8世紀、ドイツのキリスト教化に決定的な役割を果たした宣教師で、のちに聖人に列せられたボニファティウスがやってきたことにはじまります。

地域司教となったボニファティウスは、744年にフルダにベネディクト派の修道院を設立し、勢力を拡大。どころが、その10年後の754年、ボニファティウスは現在のオランダでキリスト教布教に反対する異教徒に殺害されてしまいます。彼の遺体はしばらくユトレヒトに置かれていましたが、やがてフルダの修道院に運ばれ、懇ろに葬られました。

そして、現在ボニファティウスが眠っているのが、フルダを象徴する建造物である大聖堂。

「ドイツ人の使徒」と呼ばれ、ドイツの守護聖人でもあるボニファティウスの墓所があることで、フルダの大聖堂はドイツのみならずヨーロッパ各地からの巡礼者を集めてきました。

その起源を9世紀に建てられたバジリカにさかのぼる大聖堂は、1704年から1712年にかけてローマ・バロック様式で改築され、現在の姿となりました。

幅53メートル、高さ70メートル弱の壮大な姿をした大聖堂は、天に向かって真っすぐに伸びる2本の塔と、ドーム型の丸屋根が印象的です。

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