日本各地にはほんとうにたくさんの神社があって実に興味深いものです。その数、神社庁に所属しているものだけでも8.8万社と言われ、それ以外のものも含めれば、10万社以上あるとも言われております。その数がどれほど多いかというと、全国の主要コンビニエンスストアの合計が5万店舗弱と言われておりますので、この数がいかに多いかはお分かりいただけることでしょう。
このため、祀られている神様の種類も実に多く、靖国をはじめ、実在した英霊の数も含めれば八百万(やおよろず)と例えられているのもあながち間違いっていないようにも思えます。それくらい日本の神様はたくさんいるのです。私がおよそ10年の長きにもわたってこの神社の研究に没頭できたのも、このバラエティ豊かな面白さがあってこそ、と言っても過言ではないでしょう。
例えば、歴史上に実在した人物の一人に永谷宗円(ながたにそうえん)なる偉人がおります。宗円は「青製煎茶製法(あおいせんちゃせいほう)」という、いわゆる煎茶の製法を編み出した偉人で、煎茶の普及と発展に大きく貢献した人物と知られます。
そんな宗円も今では京都のある神社の神様となって祀られているのですが、その人物史を追っていくとなかなか興味深いストーリーに出会うことができます。実は、永谷宗円の創り出した煎茶は当初、宇治ではあまり理解されなかったと言います。
そこで、元文3年(1738年)に、江戸の茶商であった山本嘉兵衛(やまもとかへえ)なる人物にその販売を託すことになり、結果これが事業的な成功に繋がり、宗円の煎茶は全国に流通することになりました。
そして、そんな永谷宗円から10代後裔となる永谷嘉男(ながたによしお)が、昭和28年(1953年)に創業したのが、あの「永谷園のお茶漬け」で有名な永谷園で、この煎茶を売った茶商、山本嘉兵衛が、「上から読んでも山本山。下から読んでも山本山」で有名な「山本山」の初代創業者になるのです。
いずれも日本を代表する老舗企業の一社でありますが、まさかそんな両社がこんなにも昔からご縁があったとは思いもよりません。これも神社をいろいろ調べている中で出会うことのできる興味深い話の一つであります。
一応、神社としては、もともと、湯山社と呼ばれる、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)を祀る普通の伊勢系の神社(永谷家の神社)だったようですが、昭和29年(1954年)に、ご先祖さまの功労をたたえ、宗円も合祀されました。そして、このとき、社名を茶宗明神社(ちゃそうみょうじんしゃ)、または、大神宮社(だいじんぐうしゃ)と改め、今では、お茶の神さまとして多くの方に親しまれる存在となりました。
神社はその数とともに深い歴史とともに歩んできたこともあって、本当に様々な歴史・文化・知恵と関わってきます。私としてもそんなエピソードから様々な神社をご紹介していくことができればと思っております。