かつてローマ、ビザンツ、オスマンという三帝国の首都として栄えたトルコ最大の都市、イスタンブール。

世界遺産に登録されている「イスタンブール歴史地区」にはアヤソフィア博物館やトプカプ宮殿、スルタン・アフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)、グランドバザールといった歴史ある建造物や市場があり、ひとたび歩けば、この街が辿った歴史のハイライトを感じることができます。

そんなイスタンブールには、メッカやメディナ、イスラエルに次ぐ聖地と呼ばれる場所があることをご存知でしょうか。

エユップと呼ばれるその場所は、歴史地区を囲うテオドシウスの城壁の外側、金角湾の畔にあります。

ムスリム(イスラム教徒)にとって特に重要視され、この地区にあるエユップ・スルタン・ジャーミィに多くの人が訪れるのには、いくつかの理由があります。

エユップというのは今ではこの地区の名称になっていますが、これはイスラム教の始祖ムハンマドの盟友で弟子でもあったエユップ・エンサルの名に由来するものです。

674年から678年の約4年にも渡り、ウマイヤ朝のアラブ軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール旧市街)を陸と海から包囲した第一次コンスタンティノープル包囲戦に戦士の一員として加わっていたエユップは、この包囲戦の途中で戦死しました。

彼の墓は、死後8世紀余り経って、1453年についにコンスタンティノープルを陥落させたオスマン帝国のメフメト2世により発見されました。メフメト2世は戦士エユップを祀るために、1458年に墓のすぐ横にエユップ・スルタン・ジャーミィを建設しました。

それ以来、オスマン帝国時代からこのモスクはずっと神聖で重要な場所であるとされ、新しいスルタンが即位するたびにこのモスクで聖剣(オスマンの剣)授与の儀式が執り行われてきました。

エユップ・スルタン・ジャーミィがムスリムの厚い信仰を集めている理由は、これだけではありません。

モスクの敷地内には、オスマン帝国時代に活躍し帝国の繁栄を支え続けた著名な人物の墓がたくさんあるのです。オスマン帝国を最盛期に導いたとされるスレイマン大帝、その後を継いだセリム2世の時代に大宰相として帝国の舵取りをしていたソコルル・メフメト・パシャの霊廟も、このモスクの敷地内にあります。

モスクは地震による損傷を受けて1800年頃セリム3世によって改修されました。毎日の決まった礼拝の時間以外にも多くの人が集まり、神聖な空間に満ちたモスクの中で静かにクルアーンを読んだり各々の祈りの時間を過ごしています。

次ページ
  • 1
  • 2