1453年5月29日はオスマン帝国のメフメト2世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略し、千年以上続いたローマ帝国を滅亡に導いた日です。

難攻不落といわれたコンスタンティノープルを囲う城壁、マルマラ海と金角湾に囲まれた攻撃しにくい立地、10万もの兵力で包囲しても一向に堕ちないローマ帝国最後の都市。メフメト2世は先代のスルタンたちが攻略を試みても断念せざるを得なかった街を、ついにこの日に陥落させることに成功し、オスマン帝国の脅威をヨーロッパ中に知らしめたのです。

その偉業から「征服王(ファーティフ)」として知られるメフメト2世が建てたイスラム寺院、ファーティフ・モスクは、イスタンブールに来たら必ず訪れておきたいスポットの一つです。

ファーティフ・モスクは、世界遺産に登録されているトルコ最大の都市、イスタンブール歴史地域内にあります。モスクが建つこの場所には、かつてローマ帝国の歴代の皇帝が埋葬されていた聖諸使徒聖堂(聖アポストレス教会)がありましたが、メフメト2世はこれを取り壊してモスクを建設するように命じました。

コンスタンティノープル攻略から10年後の1463年にモスクの建設が始められ、7年の歳月をかけて1470年に完成しました。

建設に伴って、モスク周辺には、8つの神学校や図書館、ハマム(公衆浴場)、市場、隊商宿、病院などを含むキュッリエという複合施設がつくられました。その面積は丘の上に建つモスクから金角湾のほうにまで広がるほどの大規模なもので、コンスタンティノープル攻略後にすっかり荒廃していた街の復興に尽力していたメフメト2世の意図がうかがえます。

最初のモスクは、度重なる地震で損傷し、いまあるモスクは1771年にムスタファ3世の命により再建されたものです。

再建されたモスクは、16世紀のスレイマン大帝の時代に宮廷に仕え、トルコ史上最高の建築家と評されるミマール・スィナンが確立した典型的なモスク建築の様式に則ってデザインされました。大きな大ドームを4つの半ドームが支え、天井を構成するこれらのドームを4つの柱が支えるという構造になっています。

ファーティフ・モスクの大ドームの直径は26メートルもあり、メフメト2世の偉業を讃えるかのような壮大な空間を造り上げています。

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