唐突ですが、制服が大好きです。

高校ではグレーのブレザーに、ボルドー色のリボン。入学式の当日に制服を着た時の嬉しさと、心地よい緊張感は未だに忘れられません。

アイドル時代は「1日○○署長」のお仕事があると、テンションMAX! 警察署でも消防署でも、郵便局でも制服が用意されるからです。

機能もさることながら、見るからに威厳があって、それでいて美しい。着る者に使命感を与え、凛々しくさえ感じさせる。

そんな制服が大好きです。

こんにちは! チバレイです。

西日本を中心に被害をもたらした豪雨でしたが、未だに復旧もままならぬ事態に心痛めています。地方自治体や県、政府の速やかで的確な対応、そして何よりも自衛隊の災害派遣は、被災された方はもちろん、私たち全国民にとっても心強いものです。

平成7年の阪神淡路大震災。

自衛隊による救助活動は、とても印象に残るものでした。そして、それ以降の災害で「自衛隊を派遣!」の報に安堵するようになりました。

いつの間にか私の中で、自衛隊は国民を危機から救ってくれる、信頼できる、頼れる存在になっていたのです。

そして迎えた平成23年の東日本大震災。連日報道される壊滅的な被害状況と、凄惨な映像。とりわけ故郷・福島の報道は、胸が張り裂けそうなくらいに辛く、苦しいものでした。その苦しみは私自身の中で「何かをやらなければ!」という強い思いとなりますが、これはまた別のお話。

そんな中、自衛隊による救助の模様が報道されます。連日、過酷な環境での救助と捜索。聞けば地震発生から50日間で、1日あたり10万人の自衛官が派遣されたとか。

もちろん全国の警察、消防からも災害派遣はありました。

しかしながら自衛隊は、食事、最新鋭の重機を使った作業、それらの物資輸送から、果ては風呂の設営に至るまでを一つの組織で完結させています。機動力と規模は格段の差があったと思います。

東日本大震災では自衛隊の献身的な活動と、その規律の正しさ、被災者への心使いが大きく知れ渡るところとなりました。

自身が被災し、家族の安否も確認できてないにも関わらず救助に出た自衛官。被災者には暖かいご飯を炊き出しても、自分たちは冷たい簡易食料を詰め込んでいたり、寒い中を建物の床で仮眠を取ったり、それでも被災者への暖かい気遣いと励ましを絶えず心掛けたりと、枚挙にいとまがありません。

今こうしている間にも、豪雨によって被害を受けた地域に入り、酷暑の中で救助・復旧の作業を黙々と行っていると考えたら思わず手を合わせたくなります。こうした非常時、有事の際に私たちを助けてくれる「日本の自衛隊」は、強く頼もしく、誇れる存在ですし、多くの国民が同じ思いでいると信じます。

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