こないだオレが出てる番組に、元都議会議員の高木啓衆議院議員に出てもらった。もちろんその時のテーマは小池都政についてだったが、その後、氏のTwitterにお奨め図書が載ってた。
それが『橋を透して見た風景』(紅林章央著 都政新報社刊)って本だった。帯書きが「東京の橋の成り立ちから、関わった先達の情熱までも丁寧に掘り起こす。90年前の技術者たちが行ったインフラ整備は、未来を作り出すための不可欠な投資だった」となっていた。
私事で恐縮だが、オレも八丁堀に小さなボートを係留してて、のんびり運河めぐりをするのが好きだ。特に日本橋川、神田川を巡っていると、その景色に関東大震災や東京大空襲の爪痕を見ることができ、当時の復興へ向けた取り組みと、携わった人たちの頑張りが偲ばれる。
この本には隅田川を中心に、東京にかかる橋がなぜそこに架けられたか、だれが設計したのか、その設計思想は?等々、が記されていた。もちろん震災や空襲からの復興について橋を舞台に描かれていて、とても興味深い内容だった。
その中で特に印象に残ったのが、築地市場の隣にあり、オレもガキの頃から慣れ親しんできた勝どき橋のくだり。
昭和15年に開通した勝どき橋は、東京でもっとも有名な橋の一つだ。ここがなぜ有名かといえば、かつては可動橋といって、大型船が航行する妨げにならないよう、橋の中心部を跳ね上げる仕組みになっていたからだと思う。実際跳ね上げるのは昭和45年に終わっている。
勝どき橋について、特に印象に残ったのが以下の引用。
「私は以前、大型船の舟運が多いからこそ可動橋になったとばかり思っていた。しかし、実際は逆だった。確かに大型船の舟運が多ければ、橋はいつも開橋していなければならず、車は通行できなくなってしまう。可動橋は、舟運が少ないからこそ、選択された構造であったのである。そして彼らは将来航行する大型船が減る一方、橋を通行する車は激増すると予測していた。遠からず開橋を止めることも、すでに彼らの視野に入っていたと思われる」
勝どき橋に携わった人々の慧眼に本当に驚いた。可動橋としてデビューはさせるが、いつの日か開けないようになることまで、ちゃんと見込んでたンだ。
まぁたぶん、今でもインフラ公共工事に携わる人々は未来をあれこれ思い、こうしておけば未来の人々の役に立つだろうと考え、行動されているのだろう。
復興事業、公共工事というと、やれ癒着だ、やれカネもらってンじゃね?という話が必ず付きまとう。確かにおいしい思いをする輩がいるのは面白くはない。
でもこの勝どき橋の話(本書にはこれだけでなく橋にかかわる深イイ話が出てる)のように50年後、100年後まで考えられてるって観点で公共工事をもう一度見直してみたいと思った。
ついでに言っとくが、直近の大公共工事だった豊洲市場も、微に入り細に入り、色んな事が事細かく考えられているなぁと感心していた矢先だったンで、改めて違う視点も必要なんだなぁと思った次第です。
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