■自らを語らず国事に奔走した右翼は「新たな時代」をどう迎えるのか
これまで右翼は自身について多くを語らずにきました。中には棺桶まで持って行くような大事件に関係することもあったと聞きます。そして目的の為には暴力をも厭わず「肉体言語」として敵対するものを徹底的に攻撃してきました。
あの厳めしい街宣車も、怒声も「右翼が来たら面倒だ」と為政者・権力者に思わせる為でした。万が一不正が明るみに出たら右翼テロにあうと。それほどに右翼は時の政界・経済界を睨み、時局を厳正に批判してきたのです。そして、それ故に右翼は恐れられてきたのです。とはいえ、それも今は昔の話のようですが……。
右翼には左翼と違って思想上の「教典」がないといわれます。右翼は「情」で動くと。なるほど、解らないでもないです。しかし我が国では教育勅語、開戦と終戦の勅語で天皇陛下おん自ら日本人が歩むべき「道」をお示しになられました。同時に古事記の神々の国生みは日本人の大本と言えます。国士を自認する人たち、右翼とされる人たちの教典として十分なものではないでしょうか。そこから十人が十色の解釈と情を以て国の為に挺身していくべきだと思うのです。
間もなく平成の御代も終わります。
激動の時代を名もなき民として国事に奔走した、所謂右翼といわれる人々。強い思いと覚悟を以て、世間から白眼視されることも厭わず信ずる道をひたぶるに歩んだ功績は決して称えられることはありません。時代は変わり、同じ右派・愛国運動の機運として一部ですが右翼と「行動する保守」の連帯も見えてくるようになりました。
右翼運動の「変わらない・変えない」こと「変わるべきところを変える」ことはある種の自己矛盾を生じさせることもあるでしょう。それでも新しい時代に向けた右翼のあり方、時代に沿った後進の育成が必要に思えてなりません。
かつて私は「森垣秀介門下・民族の意志同盟」で国を愛すること、そのために行動すること、そして人間的成長を遂げる努力の尊さを学びました。否、今もって学びの中にいます。「左翼からの転向」とみなされても仕方なかった私を受け入れ、勉強の機会を与えてくださった森垣委員長には今でも感謝していますし、短い期間ながら薫陶を受けた者としての自覚を忘れてはいません。
御茶ノ水で毎月第二・第四日曜日に行われる「民意同」の街頭演説、初めてマイクを握らせて頂いた日の感激を生涯忘れることはありません。