■天皇陛下への”畏敬”なきところに、民族のアイデンティティはない!
私は今上陛下のお身体を心配申し上げています。マスコミが「生前退位」と意図的な報道を繰り返す中で、それでも譲位と皇位の継承は今上陛下の御気持ちなのだと。しかし私が見ている(見られる)ところはごく一部であって、その本質は「神事」であり神業によって御代(時代)が代わるということです。現代社会にあってそれは大変に神秘的で、伝統的でもあり神々しくも自然の理にかなったまさに「畏怖」すべきことがらなのです。
國の子評論社の横山社主によれば、少なくとも昭和の頃までは皇室に関する報道に際し、大東塾をはじめ民族派の重鎮に意見を求めることが多く見受けられたそうです。宗教的・歴史的観点、更には「道」として尊王を掲げる厳正な立場に照らされた意見は『皇室の威厳を保ち、誤った報道や誤解を招くことが無いように正しく理解され、機能していた』そうなのです。
しかし意図的な報道をしたいマスメディアは「正道」を唱える側から離れ、学者や言論人、文化人といわれる自分たちに都合のよい人々に皇室問題を語らせるようになりました。一度箍(たが)が外れると後はご存知の通りです。時に芸能人と変わらぬ扱いだったり、下世話なスキャンダルだったり…皇室の権威と品格を貶めることに躍起になっているとしか思えません。「正道」という箍が外れた現代日本にあって取り戻すべきものはあまりにも多いようですね。
かつて右翼・民族派の野村秋介氏(故人)は生前「右翼とは民族の触覚である!」と説いていたそうです。何と叙情的な表現でしょうか! 覚悟と自負、烈々とした気迫にどこか悲しみと悲壮感さえ感じてしまいます。そんな「街宣車に乗らない右翼」と民族運動の今後については近いうちに必ず書きたいと思います。
今回のコラムを書くことで、改めて皇室に対する畏敬の念を強くすることとなりました。乏しい知識をして皇室を語ることの難しさはもちろん、失言や誤りがあってはならない重圧。それでも思うのです「天皇陛下と皇室に感謝し敬意を払う。日本人であることを誇りに思う」そんな当たり前の感情さえあれば不敬を働くことも、国を売ることもないでしょう。況してや反天皇! などとデモをすることもないのです。
「普通の日本人の当たり前の感情」
それが愛国心であり、尊王の精神だと思ってやみません。来るべき新しい御代を一緒にお祝いしましょう!