ボスポラス海峡がヨーロッパとアジアに大陸を二分するトルコ共和国最大の都市、イスタンブール。ヨーロッパ側の旧市街から、海峡を行き交う船から、そしてアジア側からもその姿を見ることができるのが、ヨーロッパ側新市街に建つガラタ塔です。

街のいたるところから見ることができるガラタ塔は、新市街のシンボルであり、ランドマーク的存在です。ガラタ塔には実際に登ることができ、塔の上部にある展望台からはイスタンブールの絶景を見渡すことができるほか、レストランではパノラマビューを楽しみながら食事することができるのです。

いまでこそ展望スポットとして多くの観光客を集めるガラタ塔ですが、長い歴史の中でその役割は実に様々でした。

ガラタ塔の起源は6世紀にさかのぼります。当初は灯台として建設されましたが、1204年、第四回十字軍のときに破壊されてしまいます。その後14世紀にはガラタ地区周辺に住んでいたジェノヴァ人が対岸(現在の旧市街)のビザンツ帝国を見張るために監視塔として再建しました。1453年にコンスタンティノープルが陥落すると、ガラタ塔はジェノヴァ共和国のものからオスマン帝国の管轄下に入ります。その後は、牢獄や天文台と姿を変えたのち、現在のように展望台として利用されるようになったのです。

時代によって様々な姿に変えて利用されてきたガラタ塔ですが、オスマン帝国時代の1632年、この塔から飛行を試みた人物がいるのを忘れてはいけません。1609年に生まれたオスマン帝国の発明家、アフメト・チェレビです。

アフメト・チェレビの飛行に関しては、1611年に生まれたオスマン帝国の大旅行家、エヴリヤ・チェレビが記録に残しています。

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