御年94歳、言わずと知れた「知の巨人」として精力的な言論活動を続けるノーム・チョムスキー。このたび増刷が決定した彼の最新刊『壊れゆく世界の標』(原題は『Notes on Resistance』)では、トランプ政権以降のアメリカ政治とメディアの在り方から、核戦争の危機、環境問題、新型コロナウイルスと社会の混乱、リベラル層の低迷と社会変革の新たな動き、資本主義の行く末に至るまで、多岐にわたる話題への関心と危機感を語る。

中心に語られるのはアメリカの社会情勢ですが、パンデミック下のメディア・コントロールやさらなる富の一極集中、社会福祉の脆弱さなどの問題は、日本人にとっても多くの示唆を得られる内容となっている。

本書の特筆すべき特徴は、社会の病巣に分け入って危機を煽るだけでなく、社会に対する希望を失わず、萌芽しているムーヴメントへの考察に紙幅を割いていることにある。

アメリカで若年層から絶大な支持を集める左派のカリスマ議員、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスらの提出した、MMT(現代貨幣理論)をベースとした経済施策の法案や、2017 年に発足した気候変動に対する政治的運動を組織するサンライズ・ムーヴメントの最新の動きなど、アメリカの新しい社会変革のうねりに光を当てている。最後の章では、インタビュアーの問いに対してこう答えている。

――陰鬱な時代であるいま、多くの人々にとって明るい未来が待っているとは思えないものです。何があなたに希望を与えてくれるのでしょうか?

 私に希望を与えてくれるのは、想像に絶するほどの厳しい環境の下でも、人々が権利を獲得しよう、正義を行なおうと奮闘しているという事実だ。彼らは希望を手放していない。インドの農民もそうだ。あるいは、ホンジュラスで貧困にあえいでいる人々も。彼らは決してあきらめない。だから、彼らよりはるかに恵まれているわれわれがあきらめることはできない。

もうひとつの理由は、希望を持ち続けるほかに選択肢がないからだ。希望をあきらめるのは、最悪の事態が起こるのに協力しよう、と言うのと同じことだ。あきらめたら、その選択肢しか残らない。目の前にあるチャンスを活かす気はない、と言うのは、最悪の事態が最短で起こるのに手を貸すと言うに等しい。しかし、選択肢はもうひとつある―――最善を尽くすことだ。インドの農民たちのように、ホンジュラスの貧しい小作民たちのように、世界中でつらい境遇に瀕した人々のように、最善を尽くそう。そうすればひょっとして、恥じることなく生きられると感じられる、まともな世界、より良い世界を実現できるかもしれない、と。

そうなると、選択の余地はない。だから、選ぶのは簡単だ。希望を持つしかないのだよ。
(「第7章 知性の悲観主義、意志の楽観主義」より抜粋)

■著者/ノーム・チョムスキー

1928年アメリカ・フィラデルフィア生まれ。マサチューセッツ工科大学インスティテュート・プロフェッサー、名誉教授。言語学の世界的権威として知られ、1950年代に提唱した「普遍文法」理論は現代言語学に革命をもたらした。ベトナム戦争以来、アメリカ政治に厳しい批判の目を向けていることでも知られる。著書に『統辞構造論―付『言語理論の論理構造』序論』『統辞理論の諸相―方法論序説』(岩波文庫)『メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会』(集英社新書)アメリカを占拠せよ!』(ちくま新書)『誰が世界を支配しているのか?』(双葉社)など多数。

[聞き手] デヴィッド・バーサミアン
ジャーナリスト。ノーム・チョムスキーやエドワード・サイードらと長年タッグを組むインタビュワー。チョムスキーとの共著に『グローバリズムは世界を破壊する』など。

NHK出版新書『壊れゆく世界の標』
著者:ノーム・チョムスキー デヴィッド・バーサミアン [聞き手] 富永晶子 [訳]
出版社:NHK出版
発売日:2022年11月10日
定価:1,078円(税込)
判型:新書判
ページ数:288ページ
ISBN:978-4-14-088687-0