実はあまり知られていないかもしれませんが、オーストラリアは1901年にオーストラリア連邦が成立するまで、各州が自立した自治植民地としてイギリス本国と直接植民地関係を結んでいました。つまり、オーストラリア連邦が成立する前までは、各自治植民地の横のつながりはほぼ存在せず、オーストラリアは1つの国ではない状態でした。

その連邦成立の少し前の時代、1850年代にオーストラリアの鉄道は建設が始まります。

もちろん当時は1つの国ではなかったオーストラリア、各植民地はそれぞれの都合で鉄道網を発展させていきます。そのため各植民地では異なる規格のレールが採用され、シドニーやメルボルン、ニューキャッスルやブリズベンなど港を利用した貿易を行なっていた各都市で、レール幅が異なる路線が多数生まれていきます。

オーストラリア連邦が成立した16年後の1917年、とうとうオーストラリアの東西が鉄道によって繋がることになるのですが、植民地ごとにレール幅が異なるため貨物は何度も繰り返し積み替えが必要となり、非常に不便な状態となっており、現在までその問題は続いています。

そんなオーストラリアの歩んできた自治植民地の歴史を色濃く残すオーストラリアの鉄道の中から、今回はシドニーのビジネス中心地にあるアール・デコ様式のセント・ジェームズ駅を紹介しましょう。

セント・ジェームズ駅はシドニー市民の憩いの場となっている市民の憩いの場「ハイド・パーク」の北側に位置している地下鉄の駅です。

現在はシティレールと呼ばれていますが、その起源は自治植民地時代の1855年に開業した鉄道が起源となっています。

特にシドニー郊外は自治植民地時代は農業の中心地として栄え、当時から貨物と旅客の両方を兼ね備えた鉄道が整備され、シドニーとニューカッスルの都市圏をベースに内陸部へと広がっていきました。

今回紹介するセント・ジェームズ駅の開通は1926年。実はこの年、シドニーで始まった鉄道の電化は第二次世界大戦を経て実現され、1948年には広大な電化網が整備されました。

そんなシドニーの鉄道の転換点となった電化スタートの年である1926年に開通したセント・ジェームズ駅。

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