トルコ最西端の街エディルネは、かつてのローマ皇帝のハドリアヌス帝が建設した街で、彼の名に因んでハドリアノポリスやアドリアノープルと呼ばれていました。ギリシアの北方にあり、バルカン半島の要衝であるこの街は、1361年にバルカン半島に進出したオスマン帝国によって占領され、その後エディルネと呼ばれるようになりました。

時のスルタン、ムラト1世は1366年にオスマン帝国の首都をブルサからエディルネに遷し、1453年にメフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させるまで、この街はオスマン帝国の首都として栄えました。エディルネがオスマン帝国の首都であった期間はわずか90年足らずでしたが、現在でもエディルネが首都であったときに建てられた美しいモスクがいくつか残されています。

エディルネの歴史地区のど真ん中に位置しているエスキ・ジャーミィは、そんなモスクの中の一つです。9個のドーム天井と天に突き刺さるような2本のミナレットが特徴的なこのモスクは、ムラト1世の次の代のスルタン、バヤジット1世の息子にあたるスレイマン・チェレビーの命によって1403年に建設が始められ、1414年にメフメト1世の時代に完成しました。

「エスキ」というのはトルコ語で「古い」を意味しますが、これはのちに近くにユチュ・シェレフェリ・モスクが建てられたことから、それよりも「古い」モスクということでこのように呼ばれるようになりました。

エディルネに現存する最古のモスクというだけでも注目に値しますが、エスキ・ジャーミィの魅力は堂内とモスク外壁に書かれた圧倒的な存在感を放つカリグラフィー(イスラム書道)です。

モスク入り口付近には、人の身長をはるかに超えた高さで書かれている「アッラー」と「ムハンマド」のカリグラフィー。モスクに入る前から、これらのカリグラフィーの前で祈りの時間を過ごす人もいます。

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